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褒められたときに「すみません、ありがとうございます。」と言ってしまう

嬉しいことに、フィヨルドブートキャンプに入って褒められる機会が増えた。

自分では「大したことじゃない」と思っていたことも、褒めてもらうことで自信につながるし、新たな価値基準を知る機会になっていてとても嬉しい。

この褒めるというシーンには学べることがたくさんあった。


これまでフィヨルドブートキャンプに関するエントリを書いていなかったが、特に理由があるわけではない。
しいていえば日報やScrapboxなどアウトプットする場が増えていて、改めてブログで書く機会がなかったというのがあるかもしれない。
書かなかっただけで不満をもっているということは全くなく、むしろ楽しい。
成長する自分、横のつながりを強く感じられるコミュニティ、現役で著名なアドバイザーやメンターの方にすぐ見てもらえる環境、言い出せばきりがない。

エンジニアになるためのスクール選びに迷われている方がいたらフィヨルドブートキャンプを勧めたい。
"フィヨルドブートキャンプ 評判"で検索すれば、より詳しい情報がわかると思う。

フィヨルドブートキャンプに対してずっと感じていることは、「卒業して就職すること、スクールの利益を最大化することだけを目的としていない、様々なポジションにいるみんなが得をするような答えを追求する優しいコミュニティである。」ということだ。

フィヨルドブートキャンプに登場する人物たちとその構造から、"質問すること"の大切さを説いた@june29さんのこちらの記事が参考になる。

これまでと今

もともと自分は自己肯定感が著しく低い方で、誰かと話したあとに「あのとき、これを言っていれば...」とか、「つまらないと思われてたらどうしよう」と後悔することが日常茶飯事だった。
フィヨルドブートキャンプに入る前からこの問題を抱えていたが、今はこの問題を解決するために奔走している。
人によって様々だが、解決方法は至って簡単。
良い体験を増やすことだ。

なにかにチャレンジして失敗した経験があるからこそ、悪いほう悪いほうへ思考が流れていく。チャレンジしたことがないのに思考が悪いほうへ流れているとしたら、それは知らないことに対する"恐怖"だ。
他にも色々ご意見はあるだろうけど、自分の場合はこれが一番納得のいく答えだった。

一度失った自己肯定POWERの影響力はすさまじく、それはついには半永久デバフになる。
悪いほうへ思考が流れ果ててしまうと、失敗も成功もしていない、つまり結果が出ていないのに後悔することになる。 "結果がでていないのに後悔する"という表現が伝わるのかはわからないが、とにかくこんな状況になるともうチャレンジすることもなくなってしまう。
悪い思考が全ての行動を制限してしまう。

"決闘に敗けて、何を学んだか? 決闘では私は勝てないということだ。それは奴らの戦い、奴らの法だ。だから私は戦わずして奴らを殺す。自分は何を知っている? 自分とは何か? 我々は己を知ることで、欲しいものを手に入れられるんだ。"
Petyr Baelish from "Game of Thrones" © 2011-2019 D.B. Weiss, Home Box Office Inc.

ちなみにこのデバフへの対策として、以下のことを実践している。

  • オープンな場で発言する
  • 言いにくいことを作らない
  • 自分の好きを発信する

すべてチャレンジして失敗したことか、チャレンジせず後悔していたことだ。悪手だと思っていたことを地で行ってる感じ。
これでもし成功体験をつかめば、「やっぱり間違っていなかったんだ」と心の底から思えるし、幸いフィヨルドブートキャンプは失敗に対して寛容な場所だ。
程度の差はあるだろうが、誰かを傷つけない限りはコンティニューの機会は必ずある。

他のコミュニティや転職先企業という外海にでたらこの状況が逆転するかも知れない。
でも、大丈夫。
これらのチャレンジを繰り返して得た成功体験が自分のインベントリに絶対にある。

その体験が道を照らし、自分を守ってくれる。たとえなかったとしても、そう信じることが大事だ。諦めなければ次がある。
なにもしないのは行動をしないということで、そうすると結果が出ない。
結果が出ないとあなたの行動が正しかったのか間違っていたのか答え合わせすることができない。
まずは馬鹿正直になにか行動を起こしてみることをおすすめする。

"時として私たちの強みは表面の下に眠ってるもの。 ずっとずっと奥の方にある時もあるわ。"
Moana from "Moana" © 2018 Disney

そうそう!
先にあげた対策に共通することは、目立つことかもしれない。

目立つのは恥ずかしいし、こそこそと暮らしたい。できれば。
目立てば褒められる機会が増えるかもしれないけど、批判もされる。批判は怖い。

でも同時に、正当に評価されたいとも思う。
そのためには、人目にさらされることが前提として必要になる。
良い体験も正当な評価も自分が生み出せるものじゃない。他人が与えてくれるものだ。
ノイズも混じるかも知れないけど、この先生きのこるには誰かが与えてくれるアイテムが必要だ。

褒められたときに「すみません、ありがとうございます。」と言ってしまう

長々とえらそうに書いたけど本題。

長くデバフにかかっていたせいで、褒められたときに「すみません、ありがとうございます。」と口走ってしまうことが最近の悩み。
これを自分なりに分解しようとおもって書き始めたら、エモいことが書きたくなってしまってこの行まで文字を書いている。

ここまで書いてしまったのでもうちょっと無駄なことを書く。
ああ言葉ダイエットしたい。痩せたい。 これから本題書くのに、上で書いた内容より絶対的に短いのが申し訳ない。


「ありがとうございます」は問題ないとおもう。
これも@june29さんのScrapboxで書かれていた、@laco2netさんの謙遜しないと決めている話が参考になった。

  • 「褒めたいと思ったあなたを否定しない」
  • 相手が自分を褒めたいと思ったそのことはその人にとって疑いようのない事実である。「そう思った」という事実は誰にも否定できない。 だから、相手からの「承認を承認」する
  • 注意したり怒っても意に介さない人はそのうち誰も怒ってくれなくなる。それと同じで、褒めても嬉しくなさそうな人を褒め続けてくれる人も多くない。

とくに"褒めても嬉しくなさそうな人を褒め続けてくれる人も多くない"というのは自分にはなかった視点だし「たしかにそうだ」と思った。
「そんなことありませんよ」という謙遜は、褒めてくれたことに対する否定にもなっている。
謙遜しないのには抵抗があるけど、"褒めたいと思ったあなたを否定しない"ルールの上だったらやりやすい。

一方、「すみません」は問題だ。
褒められているのに謝っている。

この「すみません」は、褒めてくれた人に対して発している。
褒めてくれた人に不義理を働いたっけ。
褒めてくれることをお願いしたかな。
いやいやもしかするとその人は、ただ褒めたくて褒めたんじゃないのかな。

「すみません」ってどんな意味で言っていたのだろう。

すみません

「すみません」がなぜ出てくるのか。

「すみません」は謝罪の言葉。
理由や弁解の言葉が見つからないときに使う「申し訳ありません。」と変わらない言葉。
褒めてもらっているのになぜでてくるのか考えたけど、やっぱり自己肯定感のなさが原因だ。

褒めてもらったことが忍びなく、こんな私を褒めてもらって申し訳ないんだと思う。
色々自己肯定感を高めるために奔走していたけど、まだこのデバフは消えていないらしい。

これに気づいたとき、「どこまで自信がないねん!」と自分をひっぱたきたくなった。
自分で自分を傷つけていたのに、いざこのことに気づいたら自分を守る感情がわいてきた。

自分を守る感情がわいてきたってことは、褒めてもらって忍びないと思う感情を否定したいんだろう。きっとどこかで曲がりなりにも今の自分に対しての自信とか、譲れないポイントがあるんだと思う。

"自分のすることを愛せ。子供のころ映写室を愛したように"
Alfredo from "Cinema Paradiso" © 1989 CristaldiFilm

たしかに色々コンプレックスはあるんだけど、自分なりのやり方でここまできたので、他の人が完全にそれを再現するのは難しいはず。
"忍びない"という感情で行動を制限されているのなら、次に向き合うべきは"自分を守りたい"というこの感情だ。

この感情は私のもので、"守りたい"と思ったことは事実だから、誰もそれを否定できない。もう少し自分に優しくしてあげることから始めようと思う。

https://images.unsplash.com/photo-1494959764136-6be9eb3c261e?ixid=MnwxMjA3fDB8MHxwaG90by1wYWdlfHx8fGVufDB8fHx8&ixlib=rb-1.2.1&auto=format&fit=crop&w=2550&q=80

「ありがとうございます。」

前向きになれたのは、フィヨルドブートキャンプでメンターの方が1on1を開いてくれたことが一番大きい。これがあったおかげで深く考えることができたし、客観的に今抱えている問題を見つめることができた。
自分一人では、「考えても気分が下がるだけだしやめよう」としか思えなかったけど、「ちゃんと考えよう」と思えた。

考えてもしょうがないことは多いけど、今回は自信は残されているということを発見できたので嬉しい。

えぬぱくは レベルが あがった!
せいこうたいけんが 1ポイント あがった!

フィヨルドブートキャンプの宣伝でしょ」って思うだろうけど、その通り!
技術"だけ"教えてくれるスクールじゃないんですよ。
なんだか興味わいてきませんか? なんだか覗いてみたくありませんか?

ちなみにこのエントリ、書かされているわけではありません。
書きたいから書いております。

よく自分が出す日報にはシャウトアウトといって感謝を書くのでこのエントリでも書きたいんですが、正直いって感謝を伝えたい人が多すぎて書くのが面倒です。
フィヨルドブートキャンプには色んな人がいますしね。

なのでこれらを集合?結合?融合?した、コミュニティそのものに感謝申し上げます。
ありがとうございます。